こちらは「私とフラワーエッセンス」と題して、8回に渡って私自身が変容していくまでのストーリーを書いています。
第1回目をまだ読まれていない方は、是非こちらも読んで下さいね↓↓
さて、離れた土地での育休生活の中で、孤独な子育てを経験した私は
「夫と一緒に住んでいても子育てを一緒に楽しめない」
「だったら夫と一緒に住む必要は無いんじゃないかな??」
そんな風に思うようになりました。

そこで再び夫とは「週末婚」に戻る事を決めた上で、私達は神奈川県横浜市にある私の実家の近くにマンションを購入。
1歳になった長男を保育園に預けて復職しました。
「ワンオペ育児」とはいえ実母に助けて貰えるのであれば何とかやっていけるに違い無い!
そんな思いでスタートしたのですが、何と想像を絶する大変さが待ち受けていたのです。

長男が予想以上に体調を崩す事が多く頻繁に会社を休むことが多くなっていました。
保育園からの突然の呼び出しも多々アリ。
酷い時は1週間に1日しか出勤出来ない事も。仕事はどんどん貯まっていくばかり。

そこで私は、夫が帰ってくる土日に長男を夫に預け、土日のお休みを返上して出社していたのです。
つまり平日は寝不足で子どもの看病をし、ゆっくり休めるはずの土日には出社して仕事。
あの頃は在宅勤務も無かったので、今思い出しても過酷でしたね(^◇^;)
そんなことを数ヶ月繰り返していたら、夜中に突然過呼吸のような症状になってしまったのです。
当たり前ですよね。
もう、精神的にも肉体的にも限界だったのです。
それでも私は
「ワンオペで仕事も子育ても頑張るって決めたのは私自身!そんな弱音を吐いてどうする!!!!」
と自分にむち打って、「弱い自分」を認めたくない一心で毎日過していました。
当然のことながら夫や実母にも弱音を吐くことが出来ませんでした。
「辛いよ」
「誰か助けて」
これがあの時の私の本当の気持ちでした。
今思えばそう振り返られるのですが、あの頃の私はそんな「本当の自分の気持ち」を無視していたのです。
無視していた、というよりも気付いていないフリをしていた、というのが正しい表現かもしれません。
そしてその頃から、こんな思いが頻繁に顔を出すようになりました。
「なんで私ばっかり、こんな大変な目に遭わなきゃいけないの??」
まだ子どもが1人しかいなかったときは、この程度の「不満」なだけで済んでいましたが、
3人目が生まれるときは、その思いは「夫への嫌悪感」に変わっていました。

「あなたは仕事だけやればいいんだからお気楽よね」
「私はあなたと同じくらいの仕事をこなしながら、家事も子育てもやってるのよ!」
「だから私はあなたなんかよりも、ずっと価値がある人間なの!!!」
こんな思いが積もり積もって、だんだんと私は夫との間に「溝」を作り始めていました。
