
「正しく生きる」から「私らしく生きる」人生をサポート
メンタルトレーナーのかげやままりです。
仕事も家庭も一生懸命な「働く女性」の心を整え、自己実現をサポートしています
「こんな毎日から抜け出したい!」
「でもどうしたらよいのか分からない・・」
かつて私ももがき苦しんでいました。
そこから這い出るまでには本当に辛かったですね。
終戦記念日の今朝、ラジオ番組で偶然聴いた話から
「人生のどん底期」をどう捉えていくか?そしてその時期を「どう過ごすと良いのか?」を
私の経験談も交えながらお伝えしていきたいと思います。
それでは、レッツゴー!!!
終戦記念日に聴いた、命を救った「偶然」の話
毎朝のジョギングで聴いているラジオ J-WAVE で、ナビゲーターのジョン・カビラさんが「戦争について思うこと、聞いたこと」をリスナーから募集していました。
そこで流れてきたのが、戦時中のこんな話です。
ある方のおばあさんは、幼いお母さんを連れて、空襲のたびにいつもの防空壕へ避難していました。しかしある日、その防空壕が満員で入れず、仕方なく別の防空壕に逃げ込みました。
後で知ったのは、入れなかったその防空壕が爆撃で崩れ、避難していた人たちは命を落としていたということ。
もう一つの話も同じでした。
おばあさんが1歳のお母さんをおんぶして逃げようとしたとき、やはり満員で入れず。親切な人に別の防空壕を案内され、そのおかげで助かったのだそうです。
「絶望的」な瞬間が、未来の命を救うこともある
もしその日、いつもの防空壕に入れていたら、このお二人とお子さんは命を落としていたことでしょう。
あの瞬間は絶望にしか思えなかった出来事が、結果的に命をつないだのです。
私はこの話を聴いて、改めてこう思いました。
今がどんなに苦しくても、それが未来にまで「苦しさ」で繋がっていくとは限らないんだなって。
私の家族も、偶然に救われた命
実は、私の母も長崎原爆の被害を免れた一人です。当時3歳だった母は、祖父の判断で長崎市から親戚の住む田舎に疎開していました。
その日、長崎市の空に立ちのぼったキノコ雲を見ながら、「あれはなんだろうね」と話していたそうです。
もし疎開していなければ…母はもちろん、私も、そして今の3人の子ども達もこの世に存在していなかったのは確実です。
点で見ると不幸、線で見ると奇跡
人生には、点だけで見ると「最悪」にしか思えない出来事があります。けれど、後から振り返ると、それがなければ得られなかった幸せや出会いがあるものです。
私にとっての「どん底」は、夫との関係が破綻寸前になり、離婚を決意した時期でした。怒りと悲しみでいっぱいで、夫の顔を見るのも嫌。
「離婚してほしい」とまで言いました。
でも、フラワーエッセンスやセッションで心を整えていく中で、夫への怒りの本当の理由が見えてきました。
それは夫ではなく、父との関係に原因があったのです。
父に対する怒りや悲しみ、それを夫に「投影」させてしまい、結果として夫婦関係がほぼ破綻、さらにそのイライラを子ども達にぶつけるという現実を創りだしていたことに気付かされました。
そうすると今度は、
「こんな現状を引き起こしているのは、父のせいだ!」「父のもとにうまれなければ、私の人生はもっと違っていたはずだ!!!」と被害者意識のかたまりとなって、大嫌いだった父を更に深く恨む様になってしまいました。
でもそのあともずっとフラワーエッセンスを飲み続けて、父との確執の原因が父にあるのではなく、私の中にある事に気が付いて、どんどんそれを解放してきたら
この父を父親として生まれてきたからこそ、私の人生において、もの凄く大切なことに気がつけたし、たくさんの出会いがあったことに気が付かされました。
あんなに父親のことを何十年と恨んできたのに、今はどんな思い出もオセロがひっくり返るみたいになってしまって、全ての出来事が「感謝」にしか繋がっていないんです。
だから今は、父親に対する恨みの気持ちが全くなくて、「恨んでいた時期があったな~」「大嫌いだったな~」って言うことぐらいしか思い出せなくなっています。
未来は絶対によい方向にしか進んでいない。
どんなに今が辛くても、未来は必ず動き出します。
そしてその未来は、あなたが想像出来ないほどの幸せを連れてきてくれるはず。
もし今、あなたが「もう無理…」と思うような状況にいるなら、ひとりで抱え込まないでください。あなたの中に眠っている、本当の気持ちや答えを、一緒に見つけていきましょう。
私の60分無料個別相談では、今の現実をつくっている無意識のパターンを見つけ、それを手放すための具体的なステップをお伝えします。
この時間が、未来のあなたの「奇跡」の始まりになるかもしれません。
是非ご利用くださいね!