こんにちは!
40代50代女性専門
自分軸ライフナビゲーターの
かげやままりです。
・・・といまではすっかりこんな感じで自己紹介していますが
かつては
3人の子育てと仕事の両立で
時間と心に余裕が全くなく
鬼のような形相で(っていうか鬼でした・・・)
イライラ・ガミガミだらけの毎日を送っていました。
心の中は不平・不満・文句だらけ。
いつもネガティブ感情に振り回されてばかりいました。

そんな
『ネガティブ感情』にふりまわされて家族に八つ当たりしまくっていた私が
夫には自然と感謝が溢れるようになり子ども達へのガミガミ・イライラが激減して
私にも家族にも笑顔が戻った
そんな私のストーリーを自己紹介として数回に渡って書いていきます。
どうぞお付き合い下さいませ♪
夫に頼れず、孤独な育休生活で決断した運命の出来事とは
今日のストーリーでは、夫との出会い、そして妊娠・出産で決断した
その後の私の人生に大きく影響した出来事についてお伝えしますね!
夫とは遠距離恋愛から週末婚へ。仕事に没頭し邁進した毎日。
日本の大学を卒業して2年間はアパレルの専門商社に就職。
就職氷河期と言われた時代にもれなく私も
「夢見た仕事」とは全く違う仕事につきました。
だからいつでも仕事には不満だらけ。
そのお陰で「仕事はお金を貯めるところ」と割り切ることができ、
数年勤務したところで
学生の頃にずっと憧れていたアメリカの大学へ編入。
国際学を専攻し卒業後に帰国。
その後テレビ通販会社会社に再就職しました。

アメリカに留学していたときに仲良くしていた日本人の友達が紹介してくれた人が私の夫です。
不思議なご縁ですね
夫とは遠距離恋愛。その頃夫は地方勤務。一方私は東京に勤務していました。
必然的に週末だけ一緒に過ごす仲でした。
結婚してからもお互いの仕事を優先し
長男が生まれるまではずっと遠距離状態での生活。
いわゆる「週末婚」というものでしたね。
周囲からは「結婚したのに別々に暮らしてるの??」
なんて不思議がられたこともありましたが、
身内には全く反対される事はありませんでした。
私は仕事が楽しくて仕方が無く、そもそも辞めて夫についていく気はさらさらなくて。
夫自身も仕事が忙しく早朝から深夜まで勤務。
そうすると一緒に住んでもね。。。。という感じで
夫も週末婚をすんなりと快諾してくれました。
そんな私達夫婦の転機は第一子である長男の妊娠と出産でした。

↑長男4ヶ月ぐらいの頃かな??懐かしい。。。
今ではワーママは沢山いらっしゃいますが
今から20年以上も前は結婚したら家庭に入られる女性が多く
ましてや出産したら退職される女性が殆どでした。
そんな環境の中にいた私もいくら仕事が好きとはいえ
「子どもが生まれたら会社をやめても良いかな??」
なんて漠然と思っていましたね。
そんな時に当時、私の上司だった女性にこう言われたのです。
「育休制度があるんだから、折角だから取得して
会社を辞めるかどうかは育休中に考えてみたら??」
「今すぐやめる決断をするのは勿体ないと思うよ」
今思うとこれも
私の「潜在意識」からのメッセージ
なのですが
あの頃は何も深く考えず
「じゃ、そうしよっかなぁ~」ぐらいの
軽い気持ちでお休みを取得することにしました

ついに育休中に夫と同居することに。待っていたのは孤独でただただ辛い育休生活だった。
産休・育休中は折角なので
普通の家庭と同じように
私も主人の単身赴任先へ行き
一緒に過ごしていました。
が、ここで問題が!!!!
私は知り合いが誰もいない場所で
夫だけを頼りに初めての育児をスタートさせました。
最初は「頑張るぞ~!!!」と持ち前の「行動力」と「明るさ」で頑張っていましたが
そんなものはあっという間にガラガラと崩れおちていきました。
夫は朝7時には家を出て、深夜に帰宅する毎日。
平日は当然のことながら家事や育児は
殆ど手伝って貰う事ができませんでした。

毎日毎日泣くばかりで言葉の通じない長男と二人きり。
ひとりぼっちの私はご飯もまともに食べられなければお風呂もゆっくり入れない。
今でも忘れもしないのが長男が寝ているのを見計らってお風呂に入った時の出来事。
シャンプーをしているとリビングから聞こえる長男の大きな泣き声。
泡まみれのまま慌てて長男のところへ行って
「もう少しだから、待っててね、ごめんね」なんて声をかけて
お風呂場へ戻ることもありました。
自分の時間は一切とれず、いつでもどこでも赤ちゃんと一緒に過ごさなければならない。
会話の出来る大人としゃべれないことや自分だけの時間がとれないことが
こんなに辛い事だとは思っていませんでした。
この時は心から日本全国の、いや
世界中の主婦ママさんを心からリスペクトしました!!!!
「こんな毎日じゃ、私絶対に精神的におかしくなっちゃう!」
そう確信した私は、
育休明けに職場復帰する事を決め、
再び「週末婚」に戻る事を決心したのです。
この決断が結果として私の人生の方向性を決めていくことになるのです。
(マイストーリーは次回のブログに続きます)